アフリカは入っているか?
「何てひどいこと!」と言って、また夕食を食べるんだろうね。
大量虐殺を記録した映像に期待を寄せる主人公の言葉への、ジャーナリストの返答
(映画『ホテル・ルワンダ』より)
最近読んだ安岡章太郎氏の著書『僕の昭和史』(新潮新書)の中に、次のような内容がありました。1940年に予定されていた東京オリンピックが中止になったことよりも、映画『大いなる幻影』が国内上映中止になったことの方が、自分にとって大いに憤慨すべき出来事であった、と。
これを私に譬えて言うなら、現在の広島カープの新球場建設がなかなか進まないことよりも、映画『ホテル・ルワンダ』の国内上映の見通しが立っていないことの方が、大いに憤慨すべき事柄となります。
この8月に参加させていただいたメキシコでのアムネスティ・インターナショナルの世界大会でもこの映画が上映され、私も鑑賞する機会を持ちました。本当に期待以上の内容でした。アカデミー賞3部門にノミネートされ、数々の映画賞を受賞しながらも、いまだに日本で上映の目途が立たないことに改めて腹立たしさを感じました。
私が一番印象に残ったシーンは、現地ルワンダの避難民たちを見捨てたまま、外国人たちがバスに乗ってホテルを去る所です。数多くの避難民を背にしながら土砂降りの雨の中、主人公のポールが立ち尽くす姿が、まさに世界から見棄てられたアフリカを象徴しているようでした。他の国であれば1人死んだだけでも大きくニュースとなる場合もあるのに、アフリカでは数万人、いや数十万人が殺されても大きなニュースとなることは余りありません。日本でもこの問題に取り組もうというNGO、市民団体も本当に数少ない状況です。日本の近隣諸国やイラク、アフガニスタン、イスラエル・パレスチナなど比較的、メディアが取り上げる地域については別ですけれども。
以前、広島での市民団体の集会で、ある平和運動家が「非暴力をつらぬくためには殺される覚悟が必要です。進んで殺されましょう」という趣旨のことを言っているのを聴きました。そこで質疑応答の時間に東ティモール独立の際に起きたことやコンゴのイトゥーリ、スーダンのダルフールで起きたことを絡めて、いわゆる「人道的武力介入」の問題について問いただしてみました。しかし、答えは東ティモールでの武装介入はオーストラリアが利権を狙ったことだ、という程度のもので、アフリカ情勢についての返事はありませんでした。私としては「非暴力は確かに尊重するが、1つ1つの事件を丁寧に見ていかないと判断がつきにくいことではないでしょうか」とコメントしておきました。
自らの考え方にそぐわない事実には背を向けるような態度は厳に慎むべきことですし、そのような態度を続ける限り、決して進歩はないでしょう。
武装介入については各国の思惑が絡んで、利権も絡むことは容易に想像がつくことです。また、「人道的武力介入」などというものは、決してベスト、またベターの手段ではなく、むしろ緒方貞子さんがかつて言っていたように「どちらがより悪くないか」という次元になってくるのだろうと思っています。特に多くの人々が虐殺の危険にさらされている極限状況の中においては。一番の理想は武力紛争が生じる前にそれに対する予防活動をすることなのですけれども、その分野について関心を持つ人々が如何に少ないことか…。実際に殺戮が始まってからでは遅いのです。
アフリカからいささか話が脱線したようです。ただ、アフリカの情勢をよりよく知ることでまた新たな眼を啓かされる思いがするのは確かです。現在、ホワイトバンドのキャンペーンが広がり、アフリカへの関心が若い人たちを中心に拡がっているのは喜ばしいことでしょう。また、アムネスティも今秋、ウガンダ出身の元子ども兵士の女性を招き、スピーキング・ツアーを開催する予定です。(広島は12月1日開催の予定)
アフリカに対する援助額よりも更に大きな金額の武器をアフリカに輸出している国々が如何に多いことか…。
映画『ホテル・ルワンダ』の日本公開を求める会のHPはこちらです。署名を含めて皆さんの御協力を御願いしたいと存じます。
ところで貴方が考えている世界の中にアフリカは入っていますか?
マス・メディアが注目する国々だけに自らの視点も偏っていないでしょうか?
自省も込めて書いてみた次第です。